平成29年12月12日、新潟市古町「かき正」にて土曜会忘年会がひらかれました。写真は芸者さんたちの舞。「かき正」は、高浜虚子が句会を好んでひらいた料亭とか。
「起立せし警備員居て眠りおり側を静かに通り過ぎたり」
「線ほそき気を奇をてらいたる絵とおもう白き額のゆがみいたれば」
「戦争画描きて逃れし画家なりきわれのうまれし年に逝きしか」
「白壁に黄土の屋根の平らかさパクルに残る終の住み処よ」
大阪時代にお世話にになった大村いのりさんからケーキとクッキーが届きました。子供さん達と焼いたとか。大村さんは心のこもった秘書業務でしばらく大阪の研究室を支えてくれました。今は、お母さんバレリーナでしょうか。当研究室は、歴代(井上さん、大村さん、濱さん(大阪)、小林さん(新潟))秘書・技術補佐員さんに恵まれています。
「燈色の鯉は沈みて動かざり丸太御池に冬せまりくる」(写真)
「よきひとのふりすることに慣れしかなコートにかかる雪を払いぬ」
長崎 (Nov 6-7, 2016)
長崎大学歯学部同窓会30周年記念講演会に出席、長崎大学熱帯医学研究所訪問(エバンスと再会 写真右)。
「長崎の空広きかな子を抱ける像の前にて手をあわせけり」 研究所近くの爆心地公園(写真左)。
Krasnoyarsk, Russia (Sep 8-9, 2016)
大学の世界展開力強化事業(ロシア)の一環、シベリアのクラスノヤルスク州を訪問。
「日の丸を持ちて迎える老人のたすきにしるせるシベリア拘留」(到着時 空港、写真左)
「この国のelectricity発電すエニセイの街クラスノヤルスク」
「イタリアンレストランありコザックの建てし緑の教会のあり」(写真中)
「エニセイの二手になりてわかれいる中洲の林に人集いいる」(写真右)
「夏休み過ぎて娘の帰りゆく白き機影の空に吸われし」(新潟空港)
初夏の札幌、北海道大学人獣共通感染症センターで行われたセミナーに出席、結核の無症候感染に関するデータを紹介。鈴木定彦先生、中島千絵先生、高田礼人先生(写真右上)、東秀明先生(写真下中央)と歓談。セミナーでは加藤康幸先生のエボラアウトブレークの話を拝聴(写真上中央)、最後に喜田宏先生にコメントをいただく(写真 左下)。
「青紺の海峡を越え新緑の満つる大地に降下はじめし」 (機上 写真左上)
「千歳より札幌に向かいおり田園を見Epitaphを聴き」(千歳ー札幌)
「紅色の線やわらかき馬の絵をここに見しこと思い出でたり」 (札幌駅 写真 右下)
「陽の透ける北の街にて駅を出で農場を越え学舎に着きぬ」(北大)
日米医学協力計画の一環で、米国コロラドにておこなわれたMycobacteria 2016に参加。日本メンバーは、北大 中島 千絵 先生(渡航の手はずを殆どしていただいた、申し訳ない。感謝)、結研 慶長 直人 先生、新潟大 松本(写真右)。学会主催者の慰労会に参加するが、会場Dr. Diane Ordway宅の広大な湖付きの家(写真中央)におどろく。Dr. Patrick Brennan、Dr. Anura Rambukkana、Dr. Richard Slaydenと再会。学会終了後、Dr. Brennan研を訪問。歴史的業績と想われるライ菌特異抗原PGL(現在、ハンセン病の診断に利用)の発見経緯を自ら話してくれた(写真左)。この写真、講義に使いたし。
「コロラドに陽の降りたもう草原のところどころに人の営み」(バスにて)
早朝「はるか」にて天王寺を出立。朝、京都府立大学にて、岡真優子先生と低酸素応答共同実験—論文作成の打ち合わせ(写真右)。昼、森川耿右先生と、イタリアンレストランにて構造生物学と科学についての話。午後、京大医微生物中川一路研究室を訪問(写真左、中央)。出向中の大学院生、西田由貴子をどうか宜しくお願いします(写真中央)。夕「雷鳥」にて金沢に、結核病学会に、そして翌日の結核ワクチン会議に備える。
「金沢に向かわんとする山遠く群青にして日の暮れんとす」(雷鳥にて)
準備して臨んだつもりも、浅才ゆえに60点程の出来か。。。精進精進。
当夜、金子幸弘先生と瀬戸俊之先生と懇親(昭和町 丸まさ、写真左)。天王寺泊 、写真右;ホテル前に聳える阿倍野ハルカス。
「育ちよく肌麗しき生徒らに結核病の講義たまえり」(大阪市立大学医学部にて)